こんなことがあるなんて夢にも思ってなかった・・・
「死んじゃう」
って何回も感じたくらい、私、体こわしちゃったんです。
お店、問題なく10年くらいやってこれてたんだけどね。
その後、ほどんど動けない体の状態が4~5年続いちゃった。

さすがに「こりゃまずいかな」って思ったんだけど、はじめっからお店は自動化を考えてやってたから、大きいダメージはなく売上げ続けられたのね。

だから、体はダウンしてるんだけど、お店は維持されてて、自分の時間が余ってるっていう(笑)。
それで頭はなんとか働くから、その時間つかってビジネスの勉強と投資をしたんですよ。そしたら、

億の資産が手元に入ってきちゃった。


波乱万丈な未来は夢にも思わない貧しい家庭の幸せな子

私は、少し貧しいけど愛情をいっぱいもらえる家庭環境で育ちました。

そんな環境だったからか、生まれ持っての性質だったのかは分からないんだけど「困ってる人、弱い状態の人がいたら助けてあげたい。」って思いを心のどこかに抱いているような、そんな子供だったようなんです。

たとえば、お友達のお母さんが「肩が重いのよ」って困ってると「ボクがお祓いしてあげる。」と言って、神主さんがお祓い棒を振るマネをしたり。

ちょっと、おかしな子ですよね。

それと、小さいころから手先が器用で、色の判断とかバランス感覚とか、そういう感性は長けてるって自分でもわかってました。

美術の通知表もずっと10。

芸術的なことが好きだったから、やりたいこと、なりたいものはたくさんあったんです。
建築家、画家、彫刻家、歌手、楽器奏者、指揮者、伝統工芸の職人、人間国宝になりたい、とかね。
いまだに全部やりたいです。

そんな中の一つに、美容師もありました。

自分の作品を作り上げるっていう点ではみんな一緒ですよね。
直接お客様の役に立てるっていうところも良いなぁと。

それと小学生のある日、いつも通っていた店の女性美容師さんが外車のオープンスポーツカーを運転しているのをたまたま目撃しちゃったんです。

当時の私は外車のランクとかわからないから、素直に「スゴイ。美容師って儲かるんだなぁ!」と。

「この仕事したら自分の能力を使ってお母さんに良い思いさせてあげられるかもしれないぞ。」と思いました。

小学生だからね、単純でしょ。
今思うと後々進路を決めるときに、この出来事の影響は大きかったと思います。

心の奥のほうに刺さって、ずっと残っちゃったんでしょうね。


自分の人生をかける仕事は美容だと決めた、高校時代の出来事。

高校に入学したときバスケ部に入ったんですけど、初心者だったんです。
その部がインターハイに出場するような強いチームだって聞いて、なぜか飛び込んじゃった(笑)。

とうぜん県内の中学生たちはその学校が強いって知ってるから、各中学からキャプテンみたいなヤツばっかり入部してるんですよ。

で、私は初心者。
練習は地獄の猛特訓(笑)。

ある日、練習中に足首をひねっちゃって、コートの外で対処してたんですよ。
マネージャーさんからスプレーやテーピングもらって。

そのすぐ後、中学時代キャプテンやってたっていう将来有望な後輩も、たまたま重なるようにして足をくじいたんです。

そしたらその瞬間「おい!〇〇(マネージャーの名前)何やってんだ!すぐアイシングしろ!」って顧問があわてて叫んだの。

私がくじいたときはスルーだったんだけどね。
勝手にやってろ、みたいな(笑)。
あとねぇ、マネージャーに何やってんだって、いま私んとこ手伝ってくれてたんだよっ、おい。

このあからさまな対応の差別に、少年の心はふかく傷ついたんですね(笑)。

それ以来私は、「経験や能力で今すでにリードされていない」・「むしろすでに自分がもってる能力が発揮される」・「全員同時の一斉スタートができる」っていう分野で、ゼロからの勝負がしたいと思うようになりました。

『能力を活かせて、同年齢の全国民が一斉にゼロからスタートするもの』は何か?
『経済的成功の見込みもあり、両親をラクにさせてあげられる可能性が高いもの』は何か?

と、高2男子の頭で考えた結果「美容だな。」と思い立った。

こんな出来事が人生の別れ道になるんですねぇ。


バスケ部時代の復讐。美容学校時代は学年トップ優等生

専門学校700~800人規模のマンモス校だったんだけど、そこでは無遅刻無欠勤、学校内1位の優等生。
卒業式では全学生の代表者として表彰もされました。

行ってた高校がある程度の進学校だったから頭脳では負けるわけないし、器用さもセンスも誰にも負けないでしょ、っていう信念ができてたんです。

全員ゼロからのスタートで自分の能力があれば絶対ダントツだ!って、すごい気合いが入ってたの。

バスケ部時代に受けた扱いからの逆襲です(笑)。
「この道では俺が勝つ!」って。

周りの生徒みてても、“とりあえず手に職”とか“勉強嫌いだからまぁ美容でいっか”みたいな半端なヤツらが多いんですよ。

「自分の一生はこれにかける」って、本当に決めちゃってたからね、私。
「お前らに負けるか!」、「覚悟が違うんだよ」っていう思いが在学中はずっとありました。


優等生→優良店→充実した実績

都内と周辺に5店舗ほどある、当時わりと優良株なサロンを勧められて入社。

もともと自分のセンスとか感覚に絶対的な自信があるから、それが原因で上司の指示に対してもいちいち新しい提案をするような生意気な部下でした。

ここでは以下のような経験と実績を、いろいろとつませてもらえました。

・23歳で新規オープンの1店舗を任される。
・海外でヘアカラー修学(このときイ〇〇のNさんやカ〇〇〇〇ー〇〇のIさんなんかも一緒だった)
・モードカットコンテストでの受賞
・東京各地や横浜大型会場など、ヘアショー出演
・ヘアカタログや雑誌のヘアメイク
・セミナー講師として全国をまわる
etc…

こんな仕事もしながら自分の店をはやくやりたいと思ってたから、24~5歳のころから経営やマーケティングの勉強をはじめました。本をたくさん読みあさったりして。

26歳のときには独立しようと思ってたんだけど、オーナーに「2年待ってくれ。」って言われちゃった。

ちょうど都内某所に新店オープンの予定があって、そこでやってほしいと。それで待った。

そこで2年働きました。

新店舗オープン後なかなかすぐには売上が立たなくて苦戦したんですけど、いろいろと独学で学んでいたビジネスの知識と知恵を試してみたんです。

そうしたら、売れなかったサービスがパカパカ売れてったの。

“学んだことを理解してからよく考えれば、こんなふうに上手くいくプロモーションができるんだ。”ということを実感しました。

この経験も、何かをつかんだって感じがしましたね。

あとね、勤めてたころ電車に乗っていてしょっちゅう思っていたことがあるんだけど。

早上がりの日、夕方5時くらいにビジネス書とか読んで勉強しながら帰ってるじゃない。
そうすると座ってる40代くらいのサラリーマンが漫画読みながら、もう帰ってるんだよね。

で、そういう人たちを見ると「こんな時間にマンガ読んでるナマケモノに負けるか!絶対に自分の方が多く稼いでやる!」とか、また思っちゃうんですよ。

根がまじめすぎるね(笑)
いまとなっては、「お勤め大変だろうな。お疲れ様です。」って思うんだけどね。


晴れて独立、早い段階でほぼ自動化に成功。順風満帆に思えたが…

予定どおり2年待って28歳で独立です。

これまで独自に学んできたことから、できる限り自分なしで運営が成り立つようにしようと決めてました。
だから最初から、いろんな面で自動化を考えて作ってった。

順調に軌道にのり売上も上がって、ブランディングも成功。
自分がそれほど店に立たなくても、年収1000万超はクリアしました。

あと、お店増やそうと思ってたからね、新しい物件の契約も直前まで何件かやりました。
雇用の面接もたくさんしたんです。

一緒にいて楽しく働ける人がいいから、そんなにたくさん応募はこないっていうのに、かなり厳しめに判断してました。

それでも実際に採用すると、良い人って全くと言っていいほどいない。
みなさん本心のところ、どう(笑)?

精神的にとても弱い。ストレスで体がダメになる。元々の持病がある。そもそもやる気がなかった。自己責任の念がない。あまり性格がよくない。平気でウソをつく。次元が違う種類。ドロボウ(犯罪者!)。

いろいろな子がいました。

やさしくて弱い子は助けてあげたかったんだけど、みんな復活できませんでした。

10人面接して1人くらいの確率では雇ってたかなぁ。


本当に自分が一緒にいたいと思える人としか関わりたくない性格だと気づき、多人数の雇用をストップ

こうしていろいろな人を雇っているうちに自分の性格もハッキリと分かってきちゃった。
「本当にいい人だなぁ」と心から感じるような人だけと繋がっていきていたい。

たくさんの人とは、あまり関わりたくない性格だったんです。
とくに嫌なヤローとは絶対に付き合いたくなかったんです。

嫌なヤローとか、嘘つきとか、犯罪者とかは、人間形成をこれまで20年の歳月かけて作ってきちゃってるから、数ヶ月や数年くらいの教育じゃ治らないんだよね。

相当インパクトのある経験をしてもらったり、一対一の付きっきりで共同生活するくらいの事しないと。

私は、そこまで性根から叩き直すような熱血教育がしたい性格ではなかったんですね。
いま自分のそばにいてくれている本当に良い人たちに自分ができる事するだけでいっぱいいっぱい。


前勤務先オーナーの「店が増えてないころの方が儲かってたよ」発言に愕然。多店舗化の挫折。

そんな頃、ある結婚式の会場で前勤務先のオーナーとテーブルが同じになり、経営者同士としての話をする機会があったんです。

私の店の現在の雇用状況とか売上状況とか、そんなこといろいろと伝えたりしてたんですけど。
そのとき、この前勤務先のオーナーの口からこんな言葉が…。

「あー。いちばん利益がのこって、良い頃だね。自分たちもその頃がいちばん利益が出てたよ。」

「えっ・・・」

「そうだよなぁ?あの頃がいちばん良かったよね?」と、隣に座っている共同経営の奥さまに問いかけるオーナー。

「うん、そうだねっ。そのくらいの頃がいちばん良いよ〜。」

「・・・」

マジですか・・・?

そうなの?お店増やしたら、そのぶん利益が増えるんじゃないの?

今だったら、全くその限りじゃないと自分の考えがすぐ出るけれど、まだこの時はそこまで思考が及ばなかったんですね。
しかもリアルな経験者の声だったから、私の胸にグサッと刻まれました。

「そうか、、、確かに利益が出れば出るほどその分経費もかかってるし、税率もどんどん上がってるな、、、。」

こんなふうに、その時のそのオーナーの言葉を正面から受けて捉えられちゃったんだね。

この出来事は、自分の人生の道を大きく変える影響がありました。


死の恐怖のループ。体が壊れて動けなくなる。

こんなふうにして私は、たくさんの従業員を雇うのがいやになっちゃったのと、前勤務先オーナーのリアルな現場の経験談から、多店舗化がしたくなくなっちゃった。

お店を増やすことに意味を見出せなくなっちゃったんですね。

気持ちが落ちたのか、このあたりのタイミングで自分の体がおかしくなってきたんです。
「死んじゃう」って何回も感じたくらい、私、体こわしちゃったんです。

とつぜん発作が起きるんですよ。

心拍数急上昇、動悸、めまい、吐き気、腹痛、全身の痺れ、痙攣、ひきつけ、硬直、全身の痛み、、、、こういった症状のモノスゴイ強烈版が、合わさって一気に襲いかかってくるんです。

はじめは冷や汗や油汗がワッと出て、興奮した犬のように息がゼェゼェと荒くなり、「アブナイ、マズイ、こわい」と感じているのですが、さいごの絶頂に達すると、意識はもうモウロウとした状態の中で「いのちが終わる…」と死を覚悟します。

発作中はまるで火山の噴火みたく内臓が燃えるように熱くて、ピーク後は真冬の海に入った後かってくらい寒くて大きい震えが止まらなくなります。

これが何度もおこるんですよ。

そうでないときも、隣から聞こえるシャーペンのノック音が頭が割れるほど痛く感じたり、食べ物の匂いが気持ち悪かったり、感覚がすごい過敏になっちゃってる。

日中に歩こうとしても体がナマリのように重くて、足サイズの半分くらいの距離(13~4cm)くらいずつしか歩幅が出せない。

一生懸命歩いても、90歳くらいの歩くのがすごくユック〜リなおじいちゃんにグングンぬかされてっちゃうの、ホントに(笑)。

その時は笑い事じゃなくて必死なんですよ。

そんな状態だったんです。

それで疑いのある脳や臓器などすべて検査しました。

結果がわかるまでの間どんな心境だったかは、もう記憶からは消されてしまったようです。

ただ、最後にわかるのが脳の検査結果だったんだけど、「異常がない」とわかったその時は「神さま、生かしてくれて本当にありがとうございます。」って思いが込み上げてきて、病院からの帰り道ではとめどなく涙が溢れて出てきちゃった。

それからもずっと原因はわからないまま、年月が過ぎていきました。

そのまま、ほどんど動けない体の状態が4~5年続いちゃった。
今でも完全には戻ってないんだけどね。

この時さすがに「こりゃまずいかな」って思ったんだけど、はじめっからお店は自動化を考えてやってたから、大きいダメージはなく売上げ続けられたのね。

だから、体はダウンしてるんだけど、お店は維持されてて、自分の時間も持ってるっていう(笑)。

ただ、このままじゃ売上も頭打ちで年収も1000万どまりだし、またさらに体を壊すかわからないし、老後いくつまで働けるかの体力も考えなくちゃだし、、、

これは運命で「方針を変えな」って、この出来事がこのタイミングで起きたんだと感じました。


体は動けないけど、自動化してたから経営は周る。時間があいてるから投資やビジネスも学べ、経済的成功が舞い込んできた。

体が動かないんだけと、時間はあまってて頭だけはなんとか働くから、新たなビジネスの勉強と投資をしたんですよ。

そしたら、億超えの資産が手元に入ってきちゃった。

ビジネススクールで学んだことの実践からも成果が出て、さらにサロン経営の自動化が進み、利益にも大きく影響が出ました。
ネット上のビジネス構築もこうして着々と進んだんです。

経済的に安心できる状態になったから、もう少し何か自分ができるかなって心の余裕も出てきました。
むかしはそばにいてくれる人にできる事だけで精一杯だったけどね。

こういう状態になった今、小さい頃から私の心の奥にある「良い人なのに困ったり苦しんだりしている人たちを助けたい。」という気持ちが、なんとなく自然にまたフツフツとわいてきちゃった。

同じように人を雇って個人店やってる人とか、一人でお店やってる人とかね。
困ったり悩んだりしてる人の助けになれることがあるんじゃないかって。

そこで、私がやってきた自動化とか仕組み作りのことなんかをネット上に公開したら、見てくれる人には役立つことができるぞってことを思い立った。

このブログを始めたのは、そんないきさつからだったんですね。



結局のとこ私が今こうして安心できる状態になれたのは、「お店の運営を自動化して自分のヒマな時間を作っておく」っていう、大元のタネがあったからです。

「いま安心したい」とか「未来の希望が欲しい」とか思うなら、まずは自分のヒマ作らないと次がない。

健康だからって、次から次へと来るお客様を自分の体と時間を全部使ってさばいてたら、考える時間がないでしょ。
それで何か新しく変えるって、ちょっとできないよね。

だから、自動化を一歩ずつで良いから進めて、ヒマな時間を増やしていくこと。

そのためには、このブログの内容を一つ一つ、しっかり読んでってくださいね(笑)。