
「鎖に繋がれ鞭で打たれてもいないのに、人間がホントじゃない仕事でも自ら進んでやるようになる。なぜなら比較の世界で、イイ(?)暮らしを自分はしたいから。」
という、この世界を動かしてきた「お金」という奴隷システム。
お金が良いとか悪いとかの話じゃない。
僕もこの仕組みのおかげで、街で暮らすことになっていた人生、ここまで生きてくることができた。
ただ、それで世界中が動き、そして自分自身も動かされているということを、認識できているか。
ビジネスがありお金があり時間があり管理されるのが“当たり前”という洗脳がほぼ完成された世界で、人が本質を思い出せるか。
“しなければならない”仕組みだらけの世界で、本質を思い出せるか。
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電車の中、[本質]を思い出せなくさせる「偽りの真実」の情報ばかり。
広告を見てなくてもスマホの中で、またすり込みの情報が見えてくる。
“イイ(?)学校”に行かせたい、のは[常識]をすり込まれた親が、そう望むから。
「大人になって“イイ(?)生活”・“ゆとりのある(?)暮らし”をできるように」、と。
「せめて高校くらいまで普通に行かせないと」と思うのも、「食べていくため、生きていくためにお金が必要」という親の怖れ。
この仕組まれたシステムの奴隷として生きていく術を、どうにか身につけさせてあげたい、という、子ではなく親の意識。
そんなような、これまでの[常識]の中で発動してきた様々な意識が、これからどこへ向かっていくのか、楽しみ。